ナイジェリア(アフリカ):犬の生贄「オグン祭り」

非常に残酷なこの犠牲祭は、7月の初めから12日間に及び毎年開催されています。

ナイジェリア南西部、民族集団ヨルバ人の多く住む村オグンでは、犠牲祭の前日から大勢の村人は森の神社に集まり、オグン神へ生贄に「犬」が捧げられます。 

犬は人間に頸動脈を切られると息絶え、焼かれ、神にささげられる」という説と 

犬の四股をそれぞれ1人づつ4人の男が持ち、犬の体が引き裂かれるまで反対方向へ強く引っ張り、頭部は体からもぎ取り、空高く血しぶきとともに放り投げられる」という説があります。

いずれにしても群衆はこのような虐待を取り囲み、嬉しそうに見物します。最後には歓喜の声が一斉に沸き起こります。

ソース:

https://encyclopedia2.thefreedictionary.com/Ogun+Festival

http://ogunstate.gov.ng/ogun-state/festivals/

https://www.arcjournals.org/pdfs/ijsell/v5-i5/1.pdf


私たちは、これを「一国の伝統文化」として本当に尊重しなければならないのでしょうか? 

犬はなんの罪を犯しましたか?

犬には、痛い、怖い、辛い、の感情が無いとでも思ってるのか?

それとも

他者(生きもの)が苦悩に悶え痛さ辛さや恐怖に打ちのめされる姿を「喜べ」というわけでしょうか? 

人間以外の生きものは、人間だけのために存在しているのでしょうか? 

この祭りでは、犬のほかに他にカエルやカタツムリも犠牲になっています。 

もしこれを自国の伝統文化とするならば、そのような国は「知性ある温かな赤い血の流れる」人間の住む地ではありません。

日本でも、長野県「諏訪大社」は、「生きたままカエルを串刺しにして殺害する」という何とも恐ろしい残酷極まりない生贄行事が未だ毎年おこなわれている現状ですが、再三に繰り返される個人・動物活動団体の意見抗議にも一切耳を貸すこともなく蛮行は継続されています。 この神社では4月は鹿の頭部が捧げられています。 

何の罪もない生きものの命を奪わせ捧げさせる神とはいったいどんな種類の神なのでしょうか?

*動画(LIAさんより) →

*記事(アニマルライツセンターさんより)→

神事であれば何をやっても許されるのですか? 

神事や伝統、文化であれば、どんなに酷い残虐な行為あろうが、わたしたちは傍観しているしかないのでしょうか? 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。