わたしたちPCAや日本各地からの一般市民が集まり、2021年3月5日より、平日ランダムで、和歌山県庁を訪れ、太地イルカ猟反対の抗議活動を行っています。
2020年4月15日に、和歌山県公式ホームページで仁坂知事はメッセージを発信し、わたしたちの抗議活動についての見解を述べられました。
📍仁坂知事のメッセージ(和歌山県公式ホームページから)
https://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/message/20210415.html
私たちは6月に、公開質問状を送付いたしました。回答期限を2020年6月28日にリクエストいたしましたが、いまだ知事からはなんの返答も受け取っておりません。
以下、質問状の内容を公開します。
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2021年4月15日、和歌山県ホームページ「県知事からのメッセージ」にて、仁坂知事の太地イルカ猟に対する見解を拝読いたしました。メッセージを公開していただきありがとうございます。
2021年3月5日より、私どもは日本各地から集まる一般市民と共に「太地イルカ猟許可取り消し」を求める抗議活動を和歌山県庁前にておこなっております。
拡声器(スピーカー)使用時にマイクの音量が時おり大きすぎる旨、ご迷惑をお掛けし申し訳ありません。これまでいくら私たちが質問状や陳情、メールなどを知事に送っても、また、電話で問い合わせ知事との面談を申し出ても、まともに取り合っていただけることはなく適格な回答もいただいておりません。仁坂知事からかえってくる返答は常に2行程度のもので、全く「質問の答え」になっていない誠意が感じられないものでした。そんな状況の中、無力である一市民の私たちは、「太地イルカ猟の不正や理不尽さ」を知りながら不条理に苦しめられている弱い立場の海の生きものの存在を知り、何ができますでしょうか? スピーカーを県庁に向け声をあげる他ありません。それをどうか仁坂知事には理解していただきたいです。
また、県庁前で仁坂知事をお見掛けした際、私たちは走り寄り太地イルカ猟の廃止を求める声を直接知事にあげています。私たちは、これまでずっと無視をし続けている仁坂知事の姿が見えた時を1つの機会と捉えこのような行為に及んでいるわけですが、このように直接的に知事に声をあげる行為をおこなっているからこそ、ようやく知事は2021年4月15日に太地イルカ猟に関する公式声明を発表されたのではないですか? 私はこれを「大きな前進」だと感じております。私たちは、知事が真摯に問題に向き合ってくれない場合はああするしか他ないことをどうか仁坂知事はご理解ください。
さらに、知事に理解していただきたいことがございます。私たちは決して「自分たちの給料をあげてください」や「税金を下げてください」など自分たちのメリットのために抗議活動をおこなっているのではないということです。 当然のことながら人から雇われたり頼まれて行ったりしているわけでもございません。皆、良心に従い、自発的に自費で日本全国から和歌山県庁前に集まり抗議活動をおこなっている次第です。たとえ「人間ではない」とはいえ理不尽に傷つけられている小さな弱き立場の命の存在を知りながら、黙って見ているような卑怯な真似は断じてできないだけです。それをいつまでもまったく問題として真摯に向き合っていただけない態度は、人間のモラル的にいかがなものかと懸念します。
2021年4月15日に仁坂知事が和歌山県公式ホームページの中で発表されました「知事からのメッセージ:太地イルカ猟について」について私どもは異議がございます。どうかお聞きいただけますようお願い申し上げます。
まず、2021年3月21日に放映されたテレビ番組について知事は次のように述べられています。
「他に生きていく手段がなかった太地の町で、人々が次から次へと新しい捕鯨方法を編み出し、町全体で協力しながら捕ったクジラを余すところなく利用し町の維持を図ってきた」
しかし実際には、「太地町の方々が生きる術が他にあまりなかった時代」とは遥か昔の事です。太地の町全体で連結しクジラの恩恵にあやかってきた「時代」があったことは認識しています。しかしだからと言って本当に「今でも継続させなければならない」のでしょうか? まったくそのように思えません。 知事、どうか周りをご覧ください。時代は一刻一刻移り変わっていっています。「自分たちの命の存続のため、他者に限らず他の命をも当然のことながら傷つけ奪っていく行為」、このような価値観はもう完全に時代遅れです。いまの世の中はエシカル(倫理的)な方向へ向かっています。私たち人間は「さらなる向上」を目指しながら日々生きています。いくら「昔から継続されてきた風習」とは言え「他者を傷つけ苦しめる行為」など継続する「価値」はありません。
また知事は、4月15日の和歌山県ホームページのメッセージの中で次のように述べられています。
「最近西洋人をはじめ外部者が乗り込んできて鯨を捕ることは悪だの責め立て、時には妨害行為もあり、太地のイルカ猟師たちは辛い思いをしながらイルカ猟を続けている」
これは、私たちがまるで「弱い者いじめをする悪人」のように書かれていますが、実際にはどうでしょうか? 本当の虐待者は、「私利私欲の為に、もの言えない弱い立場の海のいきものたちを勝手に野生からさらってきては私物化し、利用し、不幸のどん底に陥れている側」ではないでしょうか?
人間以外の生きものをも大切に想う慈悲の心は、「悪」なのですか?
私はこのように思います。海のいきものたちは確かに人間ではありませんが、例えば、虐待を受けている子供の存在を知った場合、外部者が乗り込み虐待を阻止する行為は人間として当然です。イルカは人間ではありません。しかし、理不尽に苦しめられている命を目の前にして私たちは見て見ぬフリなど断じてできません。仁坂知事はどうか予告なしで太地イルカ猟を訪れてみてください。それほど残虐なことを太地イルカ追い込み猟ではおこなわれています。 失礼ながら、和歌山県知事としては、必ず知るべき事項ではないでしょうか?
「イルカ猟師たちは、辛い思いをしながらも、イルカ猟を続けている」
ということですが、「イルカ猟の犠牲になっているイルカたちは猟師たちよりもずっとずっと辛い」です。そんな事実は小さな子供でもわかります。だって、突然、野生の生活場から拉致され、強制的に家族と引き離され、愛する家族を目の前で殺されるのです。狭い浅い薬物だらけの水族館プールに死ぬまで閉じ込められ、様々な病気になり、野生にはない冷凍魚を与えられ、やりたくもない芸をさせられる。 このようにして一生人間の奴隷として生かされる。イルカたちは、イルカ猟師たちよりもずっとずっと辛いです。
人間以外の生きものに感情移入をする私たちは、馬鹿みたいですか?
しかし、実際にイルカは自殺をしますし、心ある人間なら誰しも「イルカが自殺をする」なんて決して黙視できません。2020年も、太地の入り江に追い込まれた子どものイルカは、大人のイルカたちが次から次へと無惨に殺されていく姿を前に、パニックを起こし、自殺しようとして崖に何度も何度も頭をぶつけていました。
私はその光景を見ました。可哀想で可哀想で涙が止まりませんでした。可哀想だと思うものを可哀想だと言い心を痛める行為って、馬鹿みたいですか?
わたしは、他者が苦しんでいるのに、痛くも痒くもなくへっちゃらな顔をしている連中のほうがよっぽど「バカみたい」だと思います。
私が言っていることは、感情論ですかね?
可哀想な命のために流す涙も、「バカみたい」なのでしょうか?
また水族館のイルカたちは頻繁に抗うつ剤や精神安定剤が打たれています。 さらに、なんとか奴隷の一生に幕を閉じようと一切食事をとらなくなるイルカたちもいます。
太地イルカ猟は、現在、外国人なら知らない人はいないと言われているほど世界的に悪名高いですが、なるほど、海外の「犬肉産業」に匹敵するほどの残虐さや非人道さがそこに在ります。
自分の生活を守るために「当然のごとく他者を苦しめるおこない」を継続している太地イルカ猟というビジネスは、今後変わっていかなければなりません。
そんなことを言うと、「太地だけではない」や、「イルカだけではない 牛や豚も人間は殺して食べているじゃないか」と言ってくる人が必ず出現します。
この地球では、他者を犠牲にしなければ私たちは生きていけないシステムになっています。 ならば、1か10ではなく、「なるべく犠牲を少なくして生きる」という選択があります。
私は、感情、感覚、愛情、知性ある動物を殺して食べることをおこなっておりません。もちろん魚介類も食べません。食べるのは、植物や豆類だけです。 言うまでもなく、殺される前に怖くて怖くてガタガタ震え目からは大粒の涙が溢れ出る牛の屠殺と、ニンジンの収穫はまったく異なります。私は他人の食事に関してとやかく言うつもりは毛頭ございません。ただどんな小さな命にも「おもいやり」は持つべきなのではないか? そして、出来る限り誰も傷つけずに生きていくという生き方の選択があります、 と言っているのです。
また、知事は、4月15日のメッセージの中で、
「1世紀以上前、西洋人は鯨を大量に捕獲し、油だけを採って残りはすべて海に捨て、一部を絶滅の危機に追い込んだ」
と書かれています。
確かにかつての西洋人がおこなった行為はモラル的に最低です。しかしそれがおこなわれていたのは遥か昔の話、現在の西洋人を責め立てても解決にはつながりません。
「太地町では地域の生活を守るために必要な鯨だけを捕る」
とまた、知事は書かれておられますが、それは事実と異なります。太地でおこなわれている「現在のイルカ猟」は、時に混獲されたイルカをこっそり自分のイケスに放り込むなどの「密猟」が調査により発覚されており、また、貪欲にも必要以上を捕獲しイケスにぎゅうぎゅうに閉じ込めた暁には翌日に放流し、あたかも「良いことをしている」風に見せかけていることも頻繁にあります。しかし1度家族や仲間と引き離されたイルカは、翌日に放流されても、無事に生きていける確率は低い。そのような事実は少し調べれば誰にでもわかることです。
知事は、
「他の生き物を殺してその肉を食べることで我々人間は生きている」
と、当然のように4月15日の「知事からのメッセージ」に書かれていますが、「肉を食べるために動物を殺すことは決して当然のことではない」と考えている人間も最近は増えていっている事実をどうか和歌山県知事として今の時代を把握してください。私は「人間に食べられるために殺された」動物の肉を食べません。最近このような考え方の人が多いですが、世の中の動向の1つだと思います。人間が動物をわざわざ殺して食べることの意味について、比較的若い世代は深く考えるようになってきました。
一方、たしかに、知事が書かれているとおり、特定の価値観を他者に押し付けるのは良くないことだと思います。しかし「可哀そう」という慈悲の気持ちは、「特定の価値観ではない」のではないでしょうか? それは人間としての最低限持ち続けるべき「常識かつ基本的な感情」です。「他者に思いやりをもつ」ことは、人として最低限身に着けるべき根本的な性質であり、「思いやり」がなくなってしまえば、この世は地獄図のようになってしまいます。
(人間に限らず)どんな小さな命に対しても「思いやり」が欠落している社会では、いくら頑張っても「虐め問題」や「自殺」、「競争」、「戦争」などはなくならない、わたしは自信をもってそう思います。
また、知事は、
「思いやり無い社会に対して寛容になれ」
とおっしゃられていますが、「思いやりのない社会」、「思いやりのない人々」、「思いやりのない行為」に対して、本当に私たちは「寛容」になる必要があるのでしょうか? もしそうなれば、世の秩序は乱れ、カオス化されていくだけではないでしょうか? 何事も厳格な「線引き」は重要です。
和歌山県仁坂知事は、2021年4月15日に公表された太地イルカ猟についての見解の中で大きな誤解をされています。
「 『捕鯨を嫌う海外の人々への手前、体裁を繕うために、日本捕鯨やイルカ猟を廃止にしよう』と日本人活動家たちは考えている」
この部分ですが、実際には西洋に限らず、韓国でも「残酷すぎる」という理由で2018年に太地イルカ猟で捕まったイルカを輸入不可とされているし、インドでも2013年に「人間に属さない個人」という地位がイルカに与えられ国内イルカショーが廃止されています。 また知事はご存知のとおり英国首相は「太地の残忍な小型鯨類捕獲」反対を明白に表明されています。 このように、世界は、「イルカを守る側」にあり、そんな中、日本と中国だけが時代の流れに逆行している現状です。 共産主義国の中国では、国民に海外からの情報が十分与えられない面がありまだ理解ができるのですが、民主主義である日本は一体どうなっちゃったんでしょうか?
日本独自の価値観や文化を守っていくことは当然のことながら重要ですが、いっぽう国際社会に生きる現代日本人においては海外の思想や文化をインスパイヤされながら積極的に取り入れ、多種多様な価値観をもつ世界中の人々と柔軟に付き合っていくことは不可欠となっています。
「自分たちはこうだから、他者(外国人)からどう思われてもいいの!」では生きにくい時代で私たちは生きています。
他の国から学ぶ事項が多くあり、「クジラやイルカを大切にしよう」という海外の価値観に感銘を受けたのも理由の1つとして、今、海の生体系を傷つけるイルカ猟・捕鯨を反対している日本人の方々も多いのではないでしょうか?
毎年毎年出産しないイルカや小型鯨類を太地イルカ猟師たちは捕獲し続けています。このままではイルカ・鯨は絶滅に繋がると言われています。実際には「捕鯨(イルカ猟)」は、鯨類が海で担っている重要な役割を失わせ海の生態系を崩している直接原因となっています。現在「日本の和歌山県はイルカ絶滅に加担している」と世界中から言われていますが、和歌山県仁坂知事は「イルカを絶滅に追い込んだ日本初の知事」として、(悪名高き)名を世に残すことになる可能性があります。本当にそれでよいですか?
知事は、4月15日のメッセージの中で、以下のように述べられています。
「日本の警察や海上保安庁の警備のお陰で、シーシェパードが撤退した」
しかしそれは違います。実際には、シーシェパードは日本の警察や海保の警備に恐れをなし撤退したわけではなく、「日本テロ防止法」により仲間を逮捕させられるわけにはいかずに、現状に変化があまり見られない為、次の手段に移行したことが「撤退」の理由にあります。決して、「日本の当局に恐れをなして海の生きものを守る行為をあきらめた」わけではありません。
そして今、「太地イルカ猟の真実」に関する知識を得ている日本人の私たちは、「太地イルカ猟は廃止されるべき」だと、徐々に立ち上がっています。
2013年から和歌山県は太地の海を警察や海上保安庁に監視させています。 しかし、私たちの大切な税金を「太地の猟師たちを守るために」使わないでいただきたい。太地の漁師(猟師)たちは、そんなに儲かりたくてそんなに自分たちの身が心配なら、自分たちで護衛を雇うべきです。私たちの税金を何の関係もない彼らの為に使わないでください!
また、知事は、4月15日のメッセージの中で以下のように述べられています。
「何を食べたいか、何を求めたいかは、それぞれの人の選好であって、他人がとやかく言うべきではありません」
しかし日本で鯨肉が食べられている割合は、国民1人当たり年間僅か30グラムです。「需要などどこにも無い」と言っても過言ではありません。 しかも今、小学校などでは「捕鯨が日本の文化である」という誤った政治宣伝が教育の場に持ち込まれ「食すに決して安全とは言えない」、「誰も食べないため在庫となってしまっている」鯨肉が学校給食に出され、児童たちは強制的に消費しなければないという愚行がおこなわれています。
子供たちから「鯨肉を食べたい」とリクエストがあったのでしょうか?
だから学校給食で鯨肉やイルカ肉が出されているのですか?
いいえ、そんなリクエストなどありません。
鯨食問題に関しましては、「何を食べるか」について他人がとやかく口出すより先に、鯨肉の需要は明らかにほとんどありません。学校給食でわざわざ出し子供たちに「強制的」に食べさせなければならないほど現代の日本では鯨肉の需要は無いのに、なぜ日本は捕鯨を続けているのかは、私たちがこれから解明していかなければならない「謎」です。
太地イルカ猟に反対しているほとんどの人は肉魚食をおこなわない「ヴィ―ガン」です。私たちは「弱い立場にどうか思いやりを持ってあげてください」と懇願しています。他者の食事を頭ごなしにコントロールしようとしているのではありません。
仁坂知事は4月15日のメッセージの中で、太地捕鯨・イルカ猟を是認する理由として、
「韓国の犬食を例に他国の食文化の尊重」
をあげられています。
しかし、実際には現在の韓国では、「犬肉産業は韓国の食文化。外国人は自分たちの価値観を押し付けないでほしい」と考えている韓国市民はほんの僅かです。2018年の世論調査(ハンギルなど)では既に8割以上韓国市民が「犬肉など食べない」と回答し、6割が韓国犬肉産業の廃止を願っている結果が発表されています。私の知り合いの韓国人の方からは「日本も韓国犬肉反対に協力して欲しい」と要請が来ています。
📍参考https://www.facebook.com/anchiInunekonikuDCMT/posts/2788093821433581
https://powerofcompassionforanimals.org/inushoku_takokunoshokubunkadehanai_kore
4月15日、和歌山県庁のホームページで公表された知事からのメッセージで
「他者を傷つけている人に対して寛容に接すのが人の道」
と知事はおっしゃられています。
しかし私は、どんな小さな命に対しても、尊重し、思いやりを持つことが、本当の意味での「人の道」だと思います。「他者を傷つけている人に対して寛容に接する」ことは、悪行を容認していることになります。「他者を傷つけている人に対して寛容に接する」ことは、その場限りでうまく取り繕う分には効果的ですが、結論的には非常に危険な行為だと思います。
また知事は、食の自由にLGBTの人たちを例にあげられていますが、私たちが指摘している部分は「他者を犠牲にしているか、していないか」の部分であり、LGBTの人たちとはまったく関係がございません。別問題です。LGBTの方々はそもそも他者を傷つけたり犠牲にしたりして生きておられません。
知事は、4月15日のメッセージの中で、以下のように述べられています。
「鯨を愛する人は鯨を食べるなんて、何という人々だとお思いかも知れませんが、そういう人々とも寛容の心で接するのが、人類が幾多の憎しみや戦争を経つつ、それを避けて何とか折り合いをつけていくために身につけてきた作法ではありませんか」
つまり知事は、「『愛するものを自分の欲望と引き換えに傷つけ殺し食べる』そのような行為も寛容することは、出来るだけ楽にスムーズに生きていく上で重要である」、そのようにおっしゃられているのですよね?
しかし「愛するものを傷つけ殺して食べる」という行為は、サイコパス以外の何ものでもありません。異常です。
知事は「争いを避けるためには無差別連続殺人魔のようなサイコパスも寛容しろ」、そうおっしゃられているのですよね?
それって単なる典型的な「事なかれ主義」ではありませんか?
そんなインチキ作法に従えば、私たちの生活の向上は一生ありえません。
差し当たりその場を取り繕うだけの「臭いものには蓋をする」的まやかし作法は、遅かれ早かれ終わらせ、問題の本質に取り掛かからなければなりません。
そもそも争いや虐めなどは、「どんな小さな命に対しても思いやりの心を持つ」ことで消え去ります。
また、知事は4月15日のメッセージの中で以下のように述べられています。
「少なくとも私は、生きんが為に、ずっと苦労して捕鯨の技術を磨き、人々が力を合わせて、鯨を捕り、食べ、利用して生きてきた、そして心の中でそれを与えてくれた鯨の命と大自然に感謝をしてきた、太地町をはじめとする南紀の文化と、それを支えてきた人々を誇りに思います。そして、それは「鯨と共に生きる」というタイトルで真っ先に日本遺産の1つに認定されています。「外国の」ではなく、「日本の」文化遺産です」
この文章を読むと一見詩的で美しく賛同しがちですが、しかしよく読み理解していくと、要するに、
「厳しい太地での環境の中、太地の猟師たちは生き延びるために捕鯨の技術を改善させてきた。昔はそれしか生きていく術はなかった。太地町の一部の人間だけではなく町全体が捕鯨に頼って生きていた。殺した鯨にはちゃんと感謝しているから罪悪感はない。そんな南紀の暮らしを自分は誇りに思う。それは日本遺産に認定されたし、外国の価値観に振り回されたくない」、
そのようにおっしゃられているのですよね?
厳しい環境の中、太地の人々が生活を守るために互いに支え合って技術を磨き目的を達成されてきたことは、立派なことだと思います。しかし申し訳ありませんが、このように地域全体が協力のもと厳しい状況から脱出し好転させられてきたのは歴史上他の地域も同じです。
肝心な部分は、「自分の目的のために他者を苦しめているか否か」です。
「弱い立場を利用し苦しめた上で得た利益や習慣」は、これまでにことごとく廃止になってきました。たとえば、ハブとマングースの闘いや、闘犬・闘鶏・闘牛(一部の県)、ひよこ釣り、海外では奴隷商というビジネスも然りです。
また、「鯨と共に生きる」などとでたらめな事を言って正当化し世間に誤解をあたえる行為はいけないと思います。正確な日本語では、「鯨の屠殺と共に生きる」ですよね? 鯨と共存してきた町ではなく、鯨を殺してきた町なのですから。
知事は4月15日のメッセージの中でこのようにおっしゃられています。
「太地町の人々は生きていくために、全国からの鯨肉需要に応えて、鯨を捕り生計を立てています。また全世界の動物園、水族館からの需要に応えて、イルカを捕らえ売って生活を維持しています。そんなに余裕のない太地の猟師たちの生活をこうして維持している、家族を養い、老親を養い、地域社会を支えている漁民の生き方を批難したり、否定したりすることを私はできません」
先にも述べましたとおり、全国からの鯨肉需要などほとんどありません。
また、仁坂知事が書かれた上記の文章では、まるで「太地町は小さな貧しい漁村であり、イルカ猟という伝統でなんとか生計を立てている。それなのに、海外から抗議の標的にされ非常に理不尽である」そのような構図をアピールされているように感じます。何も知らない人はこの知事の文面を読むとさぞかし太地の猟師さんたちを気の毒に感じられるかもしれません。知事の文面ではそのような誤解を人々に与えてしまうように感じます。
実際にはどうでしょうか? 食肉として販売するとイルカ1体5万円前後です。水族館への生体販売は1頭500万円以上の値段で国内外取引がされています。6か月間の猟期だけでも実に年間7億3000万円以上を12名の太地イルカ猟師たちは荒稼ぎしている現状です。
儲かって仕方ない太地イルカ猟(生体販売)は、半年の猟期以外の残りの6か月間は遊んで暮らしている猟師たちも事実上多いと聞きます。太地町町内の公園などに在る十数か所の公衆便所は、まるでホテルのトイレのように清潔で美しく、公衆便所なのに高級ウォシュレットも完備されています。隣の漁業町と比べても太地町という町はまるでリゾート地かのように誰の目にも明らかに潤っているように見えます。1匹500万円でイルカを水族館に売りまくっている太地町の猟師たちは、非常に裕福なのではないですか?
太地イルカ猟師たちは貧しいどころか莫大な利益を得ていることは、仁坂知事も既知のはずです。それにも関わらず、なぜ仁坂知事は、儲けまくっている太地のイルカ猟師たちを庇おうとされていますか?
その理由が明白にならない限り、世界中からの抗議は太地町や和歌山県に向かい続けます。
知事はまた、メッセージの中で、外国の捕鯨について以下の様に述べられています。
「あれだけ現在捕鯨反対の米国では、アラスカの先住民が鯨を捕っています。これは先住民生存捕鯨の規定に基づき、先住民族の文化は守るのだという主張で、何とこれによってあの米国が一部で大型鯨類の捕鯨をずっと行ってきたということです」
まず、仁坂知事、「お前だってやっているじゃないか」と、問題をすり替える行為はいかがなものでしょうか?
確かに、米国のアラスカとカナダのヌナブト準州では捕鯨がおこなわれていますが、現代の日本やノルウェーの捕鯨とは大きく異なります。 すでにPETAやHSIなど巨大動物保護組織により多くの請願署名やキャンペーンなどが立ち上げられていますが、 実際には年間約2~4頭の鯨しか捕獲されていません。先住民の方々の住居は隔離された地域で、鯨しか食べるものはなく、極寒の中で暖房に油を使う必要があります。年に数頭だけ捕獲する鯨はすべて道具などにも使い決して無駄にはしていません。先住民の方たちは国からの助成を受けていません。ノルウェーやアイスランド、日本のような豊かな国々がおこなっているようなお金儲け目当ての貪欲な捕鯨とはまったく異なります。西洋人は日本捕鯨だけに反対しているわけではなく、すべての国でおこなわれている捕鯨に反対をしています。ノルウェーやデンマークのフェロー諸島、アイスランドなどに対しても当然のことながら多くの請願署名が提出されていて、ロビー活動や抗議も頻繁に行われています。
ところで私たちの生計について、和歌山県公式サイトの中で知事は、
「さらに言うと、この方々は毎日県庁前で声を上げておられますが、この方々はどうして生計を立てておられるのでしょうか。鯨を捕ってはじめて生計を維持できている漁民の方々から見ると、きっとうらやましく思うことでしょう」
と言及されています。 しかし、それは、単なる余計なお世話です。 いつまで経っても無視をし続ける仁坂県知事に対して、和歌山県庁へ実際に訪れ声をあげるために、これまでお金をコツコツ溜めてきた方もおられるし、家族から借金をされている方も居られます。 そしてわたしのように仕事を休みながら、自分のヘソクリを使い果たしている者もいます。 それほどこの問題は重大なのです。
仁坂知事が全能の神でもなければ、独裁政治の独裁者でもないことはわかっています。 しかし、太地イルカ猟の許可を出しているのは、仁坂知事、あなたなのではないですか? いますぐには無理なことは百も承知です。しかし仁坂和歌山県知事が、太地に生きる弱い立場の海の生きものたちにも慈悲の心を向け、彼らに寄り添い、人間らしい暖かなまなざしを向けてあげることは、そんなに難しいことなのでしょうか?
仁坂知事、どうか、弱い立場の者の味方になってあげてください。
人間は、鯨やイルカを捕獲しなくても、普通に生きることができます。
しかし彼らは、人間に捕らわれてしまえば、一生の終わりです。
どうか海の弱い立場にも、慈悲の心を向けてあげてください。
2021年4月15日に公表された「仁坂知事からのメッセージ」を読んでいると、「どうして和歌山県知事は、そこまで頑なに太地の捕鯨やイルカ猟を守りたいのか?」と、とても不自然な感じがして違和感が残ります。
太地のイルカ猟師たちは、落下してもいないドローンが「沿岸部に落下した」と出鱈目を知事に伝え、2020年4月に太地猟師たちの嘘により条例が施行されました。
2021年1月には、太地の定置網漁師たちは、混獲された子供のミンククジラに対して、実際には凪の日が何日もあったに関わらず「潮が早すぎて定置網に近づけなかった。だからミンククジラを放流できない」と嘘を言い、子供のミンククジラを殺しその晩のうちに高額でミンククジラの肉をスーパーで売りさばきました。
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私は、太地の猟師(漁師)たちは、仁坂知事を馬鹿にしているのではないかと憤りを感じています。
太地の漁師(猟師)たちが仁坂知事に伝えた「嘘」に関しては、わたしが2021年1月20日にお送りいたしました仁坂知事への「公開質問状」の中ですでに詳細にわたり説明しております。
しかし、それに関する知事の回答は、
「県では、関係者に対して、関係法令に基づいて適切に対処するよう助言を行っているため、公開質問状については、回答しません」
というものでした。 非常に残念です。
なぜ、和歌山県仁坂知事は、太地の漁師(猟師)たちをかばうのかが不思議でなりません。その理由を世間に適切に公表し明白にしない限り、太地イルカ猟に対する世界中からの抗議の声は決して止まないと思います。
太地町に駐在し、ドローンを毎日飛ばし太地の海をパトロールしていた人物についてですが、知事は彼らを馬鹿にすることはできません。彼らは、小さな命をも大切におもい、守ろうとすることに自分の人生を捧げている人たちです。
知事が100グラム何百円もする肉を食べている間、彼らは、電気代節約や地球環境を守るため夜は電気をつけない生活を何年間もおこなっています。夏でもクーラーを使用しません。それどころか、クーラーなど所有していません。また、「水がもったいない」と言い鍋のまま食事されます。さらに、道路にいる虫を殺さないために自家用車の所有は辞めて徒歩や自転車、やむを得ない場合は公共交通機関だけで移動されています。このような、地球環境や小さな命を守るために生活を徹底的にしている方たちが、一時的に太地町に移り住み、毎日太地の海をドローンでパトロールしては太地の海のいきものたちを守ろうとされています。
しかも太地町では、毎日太地の海でドローンを飛ばしていた方たちのお陰で、第三者の目の行き届かない太地の海での(船上)太地猟師たちによる動物に対する暴行や動物虐待が明るみになったではないですか? この方たちはだれに頼まれたわけでもなく、お給料をもらっているわけでもなく、すべて自分たちの意思で自費によりおこなわれています。
仁坂知事は、ドローンを飛ばし続けた方たちに対して、感謝すべき立場におられるのではないですか?
それとも仁坂知事は、海の上での動物虐待など知る必要もなかった。臭いものには蓋をし続けて置けばよかった、などお考えですか?
わたしは、仁坂知事はそのような方ではないと信じています。
私たちは、今年の冬、何度も和歌山県太地町を訪れました。そしてこの目でこの耳で様々な真実を知りました。 仁坂知事や和歌山県庁職員の方々、和歌山県議会議員の方々、そして和歌山県民の皆様方にも、どうか「事実」を知っていただきたいです。 私たちが話す事実を1つ1つ正確に把握していただきたいです。
2007年に日本で公開された「COVE」というドキュメンタリー映画では一部たしかに大袈裟に着色したり極端なシーンもございました。 しかし太地イルカ猟を描写するにおいて内容的に概ね事実です。
最後になりましたが、和歌山の皆さまには決してご迷惑にならないよう、コロナの感染に気をつけ、わたしたちは、念には念を入れ、マスク着用、手洗い、うがいなどを、常に心掛けております。 確かに私は県外から毎回片道2~3時間掛けて和歌山県庁まで訪れている次第ですが、金銭的にも体力的にもかなり厳しく、ギリギリのところでやっています。しかしやる価値はあると思っています。
それほど太地イルカ猟問題は、現在真摯に向き合うべき大問題という事実を把握していただきたいです。
仁坂知事は、太地イルカ猟問題に関して廃止の方向へすすめられるようお願い申し上げます。